筆者は、なにかにつけ、色んな意味で「人間の器」ということを考えてしまう。
たとえば、舛添さんの一連の騒動なんかも、まさにそう。
正直、舛添さんのカネの使い方は「確信犯」だと考えるけれど、本当に「ミス」であったとしても、記者会見などでの態度はいただけないだろう。
失敗や間違いを起こさない人間はいないので、そこで如何に誠実に振る舞えるか、そして場合によっては如何に「引く(=見切りを付ける、引退する)」かで、人間の持つ「器」がわかる気がする。
そうした意味で、舛添さんはケチ臭いのもあるけど、人間としてホントに「ちっちゃい」よね(苦笑)。
一方、それとは別に、人間にはそれぞれ「位」というか、社会的に適した「器」もある気がしている。
どういうことかというと、筆者は零細企業だけど、一応経営者というものをやっている。しかし、自分で思うに、筆者は確実に「経営者の器」ではない。
自分としても、偉そうに言えば、ナンバーワンよりナンバーツーが好きだ。そう、たとえて言えば、三国志において劉備玄徳ではなく、諸葛亮孔明が好みですね。関羽や張飛、あるいは趙雲でもイイけれど・・・・・・。
ともかく、なので筆者の場合、零細企業の経営者だから辛うじてやっていられるのだと思いますよ。これが大企業はもちろんのこと、社員数が50人とか100人とかいるような、中小企業でもたぶんというか絶対にダメですね。
それをまとめられる「力」や「資質」が筆者にはありませんから・・・・・・。
そうした点から考えると、筆者の応援するサッカー、鹿島アントラーズの石井監督というのはどうなのだろう?
色んな意見があると思うけど、筆者は正直、「鹿島」というチームの監督をする「器」ではない気がしています。
ちなみに、最初にそう思ったのは、昨年の天皇杯で敗戦したときの采配だ。
サポならご存じのように、延長戦の末、J2の水戸ホーリーホックにPK負けを喫したのだが、その際、120分(プラスPK戦)の戦いにもかかわらず、交代3枠のうち2枠しか使用しなかった。
そして、試合後に、「監督である、わたしの勇気のなさで負けてしまった」と語ったところで、「あぁ、ダメだな」と。以降、筆者は石井さんをあまり信用していません。
きっと石井さんは、イイ意味も悪い意味も含めて優しすぎるのだと思う。 筆者もそうですが、それってナンバーツーあたりにはイイし、ある程度の地位にある上司としては最適なんだけど、トップの資質ではありません。むしろ、トップとしてはマイナス要因の資質なのでは?
そして、そのあたりのことって、基本的には経験を積んだら改善(?)する−−というものでもないからねぇ・・・・・・。
だから、代えるならホントは早く代えた方がイイんだけど、たぶんチームとしては後退させないんだろうなぁ〜、と思います。今シーズンは石井監督と「心中」なんですかね(苦笑)??
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