先日、ある方と韓国について話をした。
すると、韓国に根付く「儒教思想」をあまりにもご存じないので、非常に驚いてしまった。
自分もあんまり偉そうには言えないのだが、それを理解しない限り、韓国という国を「真に理解」することは出来ないと思う。
まぁ、日本人って宗教ってものに、ホントに無知ですからねぇ・・・・・・。同時に無関心でもあるけど。 国内はそれでもイイけど、対外的には論外ですよ、それって。
そうそう。最近は「ハラル」と言われるイスラムの食事が、一部で人気を博しているそうだけど、宗教と絡めてキチンと意味や意義を理解しているのだろうか? なんだか、ファッション的な意味合いで志向されている気がしないでもないのがね、心配です。
日本語で出ている専門書(?)などを読めば一目瞭然ですけど、儒教には大きく2つの考えがある。 ひとつは、「親を敬う」と言うことで、これを漢字一文字でいうと「孝」になる。
余談だけど、滝沢馬琴が書いた「南総里見八犬伝」には8つの玉が出てきて、それは順に仁義礼智忠信孝悌−−となるのだが、これはいずれも儒教で大事な教えだ。 そして、そのなかでも、もっとも大事なものは先にも書いたように「孝」になる。
なお、これも知らない人が意外に多いのだが、「儒教」でいう「孝」というのは、ある意味恐ろしい考え方なんですよ。 何故なのか、わかりやすく実例を挙げてみる。
たとえば自分が母親と子ども、合計3人で海水浴に行ったとする。そのとき、運悪く全員が溺れてしまった。自分は母親と子ども、どちらかひとりだけしか助けられない。さて、どちらを助けるか、というときに儒教では「確実に親を助ける」−−が正解になる。
筆者は結婚もしていないし、子どももいないけど、上記質問なら「子どもを助ける」と言いますけどね。それがスタンダードって気もしますが、儒教では違うのだ。 何故なら、「絶対的に親を敬う」−−それが儒教の基本的な考え方だから。
一方、もうひとつの儒教の基本的な考え方は、「商取引は絶対悪」というものなのだが、ご存じだろうか?
その考えをさらに進めると、「商業(=商人)は確実に悪」になる。 また、正確にいうと「商業以外」でも仕事をするってことは、「どちらかといえば悪」なんだけど、農業や工業などは、こちらはまぁ許容されている。
では、この違いは何かというと、「何かモノを生み出すかどうか」だ。 商取引の場合には、たとえば80円で仕入れた大根を100円で売る、何も生み出さないのに20円も儲ける−−から「悪」なのだ。濡れ手で粟、利をかすめ取っている、と。
ちなみに、だから儒教の考えでいうなら、筆者のやっているような仕事、「金融」や「投資」なんてものは、言語道断の悪です。そう、これ以上ないぐらいにね。
いずれにしても、この2つの儒教の大原則をまず理解しないと、始まらないと思います。 これがわかって、初めて何故韓国に歴史の長い長寿企業が育たないのかとか、勉強をして官僚になりたがるのかとか、日本を目の敵にする理由もなんとなくわかる−−ハズ。
もちろん、それがすべてではないけれど、少なくともこれぐらいの理解は必要でしょう。そのうえで、さらに勉強する必要があるように思います。
▲top |