お読みになった方も多いと思うが、本日付の産経新聞の1面では「「日本語力」低下 4年制私大、国立さえ「留学生以下」お寒い大学生」−−などと報じられている。 サブタイトルは、「短大生35%中学生レベル」とさらに過激なものが付けられているけれども、内容を読んだら納得してしまった。そりゃあ、仕方ないっしょ。 しかし、産経はよく1面で報じたなぁ。エライ。こういうのって、地味だけど大きな問題だと筆者は思う。
ここでもう一度産経新聞報道に戻ると、「懐柔する」や「憂える」の意味を答える問題で正解率は実に“ゼロ”とされている。もちろん、誰一人答えられなかったわけではないのだろうが、それにしても目を覆いたくなるほどの惨状だ。
とは言え、これは大学生に限った話ではなく、社会人でも同じようなことが言える。 筆者が以前勤めていた会社でも、チェックを頼まれてアカを入れていた後輩の原稿を読んで、そのボキャブラリーの乏しさや慣用句の使い間違いに呆れるということが何度もあった。一般の方よりも活字に慣れ親しんでいると思われる、「記者」と言われている一部の人間ですらそんなものだ。
聞けば、前述した後輩某は本(小説)を読むことがほとんどないと言う(金融関係の本は少し読んだらしいが)。 それがすべての原因かどうかは別にして、“日本語力”の低下はそれこそ「憂える」レベルにあるのではないか。 良いか悪いかは別にして、筆者は入社当時、編集長から「出来るだけ上手い文章が書けるようになれ。そうすれば内容はなくとも人に支持される」−−などと言われたもので、現在でもそれに向けて出来るだけ努力をしている。まぁ、一朝一夕に文章ってヤツはうまくならないものですが(笑)。
なお、実を言えば筆者は「書く」こともそうなのだが、それ以上に日本語の「喋り」が下手な日本人の多いことが以前からとても気になっている。これはもちろん「照れ」や「緊張」などによるものを指しているわけではない。 大げさな言い回しになるかも知れないが、「国力の低下」というものを本当に突き詰めれば経済や金融、雇用ではなく、こんなところに行き着くような気がする。そうした意味において日本は危機に瀕しているのかも知れない。
P.S. 「文章」については過去に何回か思ったことを書いています。ご興味のある方は記事検索にて探してみてください。
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