TOP
コラムTOP
最新コラム
バックナンバー
2005年08月01日
■「情報は鵜呑みにせず」

先日、知人から郵政民営化問題に関連した話を小耳にした。賛成派、反対派それぞれに様々な主張がありどちらかが絶対的に正しくてどちらかかが絶対的に間違っているということははっきり言ってないでしょう。最早ギリギリの比較考量のなかでの選択だと思っています。

そんな中、こんな主張があるそうだ。
「郵便局はどんな過疎地にも存在する。郵貯の決済機構のおかげで全ての国民が決済口座を持てている。もし民営化されれば効率化から不採算な過疎の郵便局は閉鎖されるだろう。過疎地に住む人は決済口座すら持てないことになってしまう」という。

はじめにきいた時は耳を疑った。実際にこうした問題を政治の場で議論しているのかどうかまで不勉強のために解らないのだが、少なくとも巷ではこんなことがまことしやかに囁かれているのは事実のようだ。

バブル崩壊の頃、日本には決済機能を有する金融機関が多すぎるという話があった。当然この中には郵貯も含まれるわけだろうが、民間だけに絞っても、都市銀行、長期信用銀行、信託銀行、地方銀行、第二地銀、信用金庫、信用組合。まあ確かにこんなに必要なのかと思うほどある。
最初の3つの形態は合従連衡のなかその数を減らしていったのはよくご存知のことと思う。
地銀以下の組織も、各地域のなかで合従連衡が進みその数は確かに少なくなっている。

しかし、その数は減っても前者と後者の役割期待は逆に明確化され、後者はより一層地元密着型の方針が強くなっている。
その昔、私がある地方支店に勤務していた時、こうした地銀、信金、信組の根強さを実感した。信金、信組にいたっては何某1丁目担当、何某2丁目担当と言った具合に営業担当者がはりついている。非効率な人海戦術というのは簡単だが、このネットワークは大した物である。

この地方金融機関の戦略がよりその色を強めているなかで、過疎の郵便局の存廃が決済口座を持てない人を作りだすとは到底考えにくい。
また、決済口座は何も家の近所におく必要性も全く無い。ネット銀行とネットバンキングの充実はそれを可能にしている。
一体彼らの言う過疎とはどんな場所の話なのか?その数は一体どれほどのものなのか?
それは今後地方金融機関がカバー不可能なほどのものなのか?

この話をこの場でガセネタと断言することは出来ないが、おや?と思う点が多々あることは地方勤務の実体験から感じられる。
巷の噂とはまあそんなものだと思っている方が殆どだとは思うのだが、これは市場にあってもおなじである。
何気なく聞き流す情報の中には「本当ですか?」と思いたくなるような話が幾つもありますので、情報の取捨選択と裏取りにはしっかりと心を砕いていただきたいと思います。



Copyright (C) 2004 fx-newsletter All Rights Reserved